書評もどきを書いてみる(2)
2000年10月24日『京都市電が走った街 今昔』
沖中忠順著 福田静二編(JTBキャンブックス)
昭和五十三年九月三十日――京都市電が廃止された日。
当時四歳の私には、この日の記憶は全く残っていない。
・ ・ ・
古くは、明治二十八年に開業された「京電」に始まり、廃止されるまでに八十三年の歴史を築いた京都市電。本書は、市電の今昔を定点対比した写真集である。かつての市電停留所ごとに当時と現在の写真が並べられ、各停留所近辺にまつわるエッセイが綴られる。中には著者の思い出話に終始した箇所もあるが、電車に興味がない人でも、素っ気ない「京都の歴史」の類の本より遙かに面白く読めるのは間違いない。そして、市電の現役時代を知る人には何とも言えない郷愁が感じられるのだろう…そんな本である。
本書の市電写真は、昭和四十五年から五十三年に撮影されたものが中心である(中には昭和三十六年の写真もある)。京都駅前、祇園、そして四条河原町――京都の代表的な街路を市電は走っていた。自動車があふれ、商業ビルが建ち並ぶ現在しか知らない私には、なんだか不思議で、でもどこかあたたかみのある光景に感じられる。その一方で、近衛通や東一条では、写真の中の市電が市バス206系統に変わっているだけ。同じ京都でも時間の流れ方が全く異なる、そのギャップも楽しい。
そうそう、本書によると市バス200番台は市電廃止に伴い代替系統として設けられた路線らしい。このうち現在でも市電時代のルートを忠実にたどるのは201と207系統である。市バスは市電と深い関係があったのだ。
・ ・ ・
最近では、環境に対する負荷が少なく、高齢者や障害者にも優しい交通機関として路面電車が注目されているという。しかし高度経済成長の時代、市電は車社会にとって次第に邪魔者となったことは想像に難くない…昭和四〇年、軌道敷を自動車に解放したことが決定的なダメージとなり、やがて廃止される運命を辿る。
激増する自動車に追われ、歴史の彼方へ消えた京都市電。その廃止は必然だったのだろう。けれども、道路は相変わらずあふれんばかりの車で渋滞し、市バスもダイヤ通りに運行できない現状を見ると、ふと、これで良かったのだろうか?とも思う。古都の雰囲気を残す観光地・京都には、車よりも似合う交通機関があるはず。
市電はほんの少し、全廃されるのが早すぎたのではないだろうか――本書は、ノスタルジーのみで説明されるものでもない。
・ ・ ・
市電を知らない私が京都の路面電車で忘れられないのは、通学に毎日のように利用していた京阪電車・京津線の地上線だろうか。
平成九年十月十一日――廃止された日の切符は今も私の手元に残っている。あの懐かしい「京津三条」駅の名前と共に。
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4ヶ月ほど前に、大学生協の書評誌に載せた原稿です。
私が書くと、書評じゃなくて本を題材としたエッセイになってしまう。いいのか悪いのかは分からないけど...他の人達はやたら小難しい文章を書くので、たまにはこんな編集委員がいてもいいか、と自分に言い聞かせてみたり。
沖中忠順著 福田静二編(JTBキャンブックス)
昭和五十三年九月三十日――京都市電が廃止された日。
当時四歳の私には、この日の記憶は全く残っていない。
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古くは、明治二十八年に開業された「京電」に始まり、廃止されるまでに八十三年の歴史を築いた京都市電。本書は、市電の今昔を定点対比した写真集である。かつての市電停留所ごとに当時と現在の写真が並べられ、各停留所近辺にまつわるエッセイが綴られる。中には著者の思い出話に終始した箇所もあるが、電車に興味がない人でも、素っ気ない「京都の歴史」の類の本より遙かに面白く読めるのは間違いない。そして、市電の現役時代を知る人には何とも言えない郷愁が感じられるのだろう…そんな本である。
本書の市電写真は、昭和四十五年から五十三年に撮影されたものが中心である(中には昭和三十六年の写真もある)。京都駅前、祇園、そして四条河原町――京都の代表的な街路を市電は走っていた。自動車があふれ、商業ビルが建ち並ぶ現在しか知らない私には、なんだか不思議で、でもどこかあたたかみのある光景に感じられる。その一方で、近衛通や東一条では、写真の中の市電が市バス206系統に変わっているだけ。同じ京都でも時間の流れ方が全く異なる、そのギャップも楽しい。
そうそう、本書によると市バス200番台は市電廃止に伴い代替系統として設けられた路線らしい。このうち現在でも市電時代のルートを忠実にたどるのは201と207系統である。市バスは市電と深い関係があったのだ。
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最近では、環境に対する負荷が少なく、高齢者や障害者にも優しい交通機関として路面電車が注目されているという。しかし高度経済成長の時代、市電は車社会にとって次第に邪魔者となったことは想像に難くない…昭和四〇年、軌道敷を自動車に解放したことが決定的なダメージとなり、やがて廃止される運命を辿る。
激増する自動車に追われ、歴史の彼方へ消えた京都市電。その廃止は必然だったのだろう。けれども、道路は相変わらずあふれんばかりの車で渋滞し、市バスもダイヤ通りに運行できない現状を見ると、ふと、これで良かったのだろうか?とも思う。古都の雰囲気を残す観光地・京都には、車よりも似合う交通機関があるはず。
市電はほんの少し、全廃されるのが早すぎたのではないだろうか――本書は、ノスタルジーのみで説明されるものでもない。
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市電を知らない私が京都の路面電車で忘れられないのは、通学に毎日のように利用していた京阪電車・京津線の地上線だろうか。
平成九年十月十一日――廃止された日の切符は今も私の手元に残っている。あの懐かしい「京津三条」駅の名前と共に。
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4ヶ月ほど前に、大学生協の書評誌に載せた原稿です。
私が書くと、書評じゃなくて本を題材としたエッセイになってしまう。いいのか悪いのかは分からないけど...他の人達はやたら小難しい文章を書くので、たまにはこんな編集委員がいてもいいか、と自分に言い聞かせてみたり。
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